仏誕節前夜の『ドイステープ山登り儀式』ワット・チェディールアンの『 ウィサー・カブーチャー(仏誕節)』

2016年05月30日

続・仏誕節前夜の『ドイステープ山登り儀式』


『仏誕節(ワン・ウィサカブーチャー)』が今年は5月20日(金)に行なわれました。チェンマイでは前日の19日の夕方より、麓から山頂のワット・ドイステープまで歩いて参拝するという習慣があります。その前夜の7時からは、その儀式がクルーバー・スィーヴィチャイ像が祀られて場所で行われました。

クルーバー・スィーヴィチャイ像のある場所は、動物園から山を登ると、約1km先左手にあります。
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標高1080mのステープ山にあるワット・ドイステープには、昔は山道がなく、お寺にお参りすることはまさに困難でした。そこで有名な高僧、クルーバー・スィーヴィチャイ (1878-1938)に助けを求めたところ、彼の呼びかけで国中から一日3,000人~4,000人が道づくりに集まり、5カ月と20日で道路を完成させたそうです。

19日(木)夜7時、『ドイステープ山登り儀式』がチェンマイ県知事(手前)たちが参列して行われました。
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参列者は合掌しています。
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その後、広場では、『タイヤイ族』お馴染み踊り『トゥ―』(鹿に似た架空の動物)が登場しました。
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その次に、チェンマイの旧市街にランナー王国の都を築いて今年で720年になります。その壮大な歴史物語を華麗な踊りも交えながら紹介されました。
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チェンマイの発展の歴史は、13世紀後半にタイ北部を支配し、1296年(日本の鎌倉時代の後期で、1281年には2次蒙古襲来が起こっていました。)4月12日にランナー王国のメンラーイ王が旧市街に都を築いたのが始まりです。最盛期にはタイ北部はもとより、ビルマやラオスの一部も領土に収めていました。しかし、その後、ランナー王国は南のスコータイ王朝やビルマ、アユタヤ王朝、バンコク王朝などの政争に巻き込まれ、一時は崩壊状態に陥ったこともありました。しかし、1939年にタイ国に編入されるまで、どうにか独自の地位を保ち続けていきました。

ランナー王国時代に名をはせた人物も登場しました。
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旧市街に王都を築いたメンラーイ王はミスターソンクラーンが扮していました。
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ワット・ドイステープの歴史も紹介されました。
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ワット・ドイステープの正式名は、ワット・プラタート・ドイ・ステープです。ドイはタイ語で山を表します。ステープ山の頂上に建つことから、通称ドイステープ寺院と呼ばれています。ワット・ドイステープの歴史は古く、1383年、クーナ王の手によって建立されました。

インドから釈迦の骨である仏舎利をはるばる運んできた白い象が、この地で息絶えたことから、ワットドイステープが建立されたと伝えられています。
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このお寺の黄金色の仏塔(模型)も登場しました
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夜空には花火も打ち上げられました。
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最後はチェンマイ県知事を囲んで記念撮影です。
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先日行われたミスターソンクラーンで入賞したS君(チェンラーイ高校3年生で、お父さんが日本人)も出演していました。
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夜なると、山に登る参拝者はますます増えて行きました。
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onaga1951 at 08:17│Comments(0)行事 

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