チェンマイの戦没者慰霊祭『バーンガート会場』ランプーンの『ラムヤイ(リュウガン)祭り』

2018年08月24日

続・チェンマイの戦没者慰霊祭『バーンガート会場』


73回目の終戦の日を迎えた8月15日は、戦没者慰霊祭がチェンマイでも行なわれ、私はバーンガート慰霊祭に参加いたしました。

バーンガート慰霊碑
チェンマイ市郊外にあるメーワン郡バーンガート中高学校の敷地内には、インパール作戦で亡くなれた約1万8千名の遺骨が納められている慰霊碑があります。
チェンマイ市内から学校の慰霊碑までは約35kmで、車で1時間ぐらい掛かります。

インパール作戦とは、東亜戦争の末期、日本軍により実施された東インドのインパールに対する進攻作戦(ウ号作戦と呼称)。
同方面を根拠地とするイギリス・インド軍のビルマ(現ミャンマー)進攻作戦を未然に防止し、あわせてチャンドラ・ボースの自由インド仮政府支援のため、インド領内における足場を確保することを目的として計画され、1944年(昭和19)1月、大本営の認可するところとなった。同作戦を担当した第一五軍(司令官牟田口廉也(むたぐちれんや)中将は、同年3月に行動を開始し、4月にはインパール付近の地点にまで進出したが、航空兵力の支援を受けたイギリス・インド軍の強力な反撃と給の途絶とによって、しだいに守勢に回り、7月には退却命令が下され、飢えと病気により多数の将兵を失った悲惨な退却戦が開始される(死傷者数7万2000人)。日本軍の戦闘能力を過信し、補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される。

慰霊祭は、乗鞍実行委員の司会で始まりました。隣には通訳のタイ人女性がいました。日本語とタイ語で進められていきました。
イメージ 1


続いて、庄司チェンマイ日本人会副会長の開会の辞がありました。
イメージ 2


その次に、黙祷を1分間いたしました。(日本の戦没者追悼式と同時黙祷)
イメージ 3


それから、『君が代』の斉唱がありました。
イメージ 4


地元の学生によるタイ国歌の斉唱がありました。
イメージ 5


慰霊祭の後半は、川田チェンマイ総領事の来賓挨拶がありました。
イメージ 6


続いて、セリー・スワンナペッチ氏(慧燈財団副理事長、元バーンガート中高校校長)の来賓挨拶がありました。
イメージ 7


その次にモンコン・ガーワオバーンガート中高校校長の来賓挨拶がありました。
イメージ 8


最後の来賓挨拶は、大口ブアトーン会代表でした。
イメージ 9
ブアトーン会とは、第2次大戦での戦没日本兵への慰霊と、タイから出撃または引き揚げてきた日本兵を温かく見守ってくれた地元タイ人への感謝の気持ちを絶やさないことを主旨とした、在タイ邦人による「ブワトーン会」が2013年11月13日、バンコクで発足しました。
 
その後、焼香、献花がありました。

イメージ 10


イメージ 11


イメージ 12


『ふるさと』の斉唱がありました。
イメージ 13


山内実行委員から閉会の辞がありました。
イメージ 14


記念撮影がありました。その日の出席者は73名でした。
イメージ 15



他のブログを見たい方はクリックしてください。

イメージ 16







onaga1951 at 08:17│Comments(0)行事 

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
チェンマイの戦没者慰霊祭『バーンガート会場』ランプーンの『ラムヤイ(リュウガン)祭り』