2014年06月
2014年06月29日
夜のチェディールアン寺の『サオ・インタキン祭り』(3)
私がチェンマイの行事やイベントでいつも感心させられることは、
そこに参加した人々を充分に楽しませることが優先していることです。
このお祭りでも境内に仮設のステージが設けられ、伝統舞踊や歌、
ダンスが繰り広げられ、大勢の参拝者がお参りをしてから充分に
観て、楽しんでいました。
観て、楽しんでいました。
サオ・インタキン祭とは、毎年5月にチェンマイを守る柱(サオ・イン
タ キン)を拝む行事で、今年は5月25日から31日までの1週間
行なわれました。1年に1度この期間に祠堂の扉が開けられ、
守護柱が公開 されます。
チェンマイの人々にとって守護柱はとても神聖なもので、
お花やロウソ ク、お線香を持って、大勢の参拝者が訪れ、
境内に並べられた花台に 供えていきます。
別名「花を供える祭り」 と呼ばれています。
行なわれました。1年に1度この期間に祠堂の扉が開けられ、
守護柱が公開 されます。
チェンマイの人々にとって守護柱はとても神聖なもので、
お花やロウソ ク、お線香を持って、大勢の参拝者が訪れ、
境内に並べられた花台に 供えていきます。
別名「花を供える祭り」 と呼ばれています。
ワット・チェディールアン(チェディールアン寺)について、
ワットとは、お寺。チェディーとは、仏塔。ルアンとは、巨大なです。
つまり、ワット・チェディールアンとは、巨大な仏塔のあるお寺という
ことです。
このお寺は、ワットプラシンと並んで、チェンマイで最も格式のあるお寺です。
場所は旧市街ほぼ中央にあります。
ワットとは、お寺。チェディーとは、仏塔。ルアンとは、巨大なです。
つまり、ワット・チェディールアンとは、巨大な仏塔のあるお寺という
ことです。
このお寺は、ワットプラシンと並んで、チェンマイで最も格式のあるお寺です。
場所は旧市街ほぼ中央にあります。
私が行った時は、チェンマイの伝統舞踊『爪の舞』が既に始まっていました。
次から次に伝統舞踊が繰り広げられていました。
2014年06月27日
夜のチェディールアン寺の『サオ・インタキン祭り』(2)
チェンマイの守護神である柱(サオ・インタキン)のお祭りが
チェディールアン寺で5月25日から開かれたので、初日の夕方
から再び見に行きました。参拝者が大勢押し寄せ、境内にある
あちらこちらの花台にお花をお供えしていました。
サオ・インタキン祭とは、毎年5月にチェンマイを守る柱
(サオ・インタキン)を拝む行事で、今年は5月25日から31日
までの1週間行なわれました。1年に1度この期間に祠堂の扉が
開けられ、守護柱が公開されます。
チェンマイの人々にとって守護柱はとても神聖なもので、お花や
チェンマイの人々にとって守護柱はとても神聖なもので、お花や
ロウソク、お線香を持って、大勢の参拝者が訪れ、境内に並べら
れた花台に供えていきます。
別名「花を供える祭り」 と呼ばれています。
ワット・チェディールアン(チェディールアン寺)について、
ワットとは、お寺。チェディーとは、仏塔。ルアンとは、巨大なです。
つまり、ワット・チェディールアンとは、巨大な仏塔のあるお寺ということです。
このお寺は、ワットプラシンと並んで、チェンマイで最も格式のあるお寺です。
場所は旧市街ほぼ中央にあります。
ワットとは、お寺。チェディーとは、仏塔。ルアンとは、巨大なです。
つまり、ワット・チェディールアンとは、巨大な仏塔のあるお寺ということです。
このお寺は、ワットプラシンと並んで、チェンマイで最も格式のあるお寺です。
場所は旧市街ほぼ中央にあります。
本堂から左側にある守護神の柱が祀られている祠堂です。
祠堂の中央には、守護神の柱(仏像の下の台座の部分)が安置されています。
1年に1度、この期間だけ公開されます。
祠堂は女性禁止なので、男性だけしかお花をお供えすることができません。
祠堂の外側では、大勢の参拝者がお花をお供えしています。
境内には、あちらこちらの花台にお花のお供えしています。
2014年06月25日
夜のチェディールアン寺の『サオ・インタキン祭り』(1)
チェンマイの守護神の柱と言われる『サオ・インタキン』のお祭りが
5月25日から31日までチェディールアン寺で行なわれました。
私は初日の夕方に再びお寺に行きました。境内には大勢の参拝者が
かごにお花を一杯入れてお参りしていました。
サオ・インタキン祭とは、毎年5月にチェンマイを守る柱
(サオ・インタキン)を拝む行事で、今年は5月25日から31日までの
1週間行なわれました。1年に1度この期間に祠堂の扉が開けられ、
守護柱が公開されます。
チェンマイの人々にとって守護柱はとても神聖なもので、お花やロウソク、
チェンマイの人々にとって守護柱はとても神聖なもので、お花やロウソク、
お線香を持って、大勢の参拝者が訪れ、境内に並べられた花台に供えて
いきます。別名「花を供える祭り」 と呼ばれています。
お寺の外側の道路は、歩行者天国となり、両端にはたくさんの露店が並び、
まん中は食事ができる席が設けられていました。
たくさんの食べ物の露店が並んでいました。
お花やお線香、ロウソクのお店もたくさん並んでいました。
チェディールアン寺は旧市街のほぼ中央にあります。
2014年06月23日
クーデター1ヶ月の『サンデーマーケット』
昨日の日曜日の夕方、サンデーマーケットを見に行きました。
その日は、5月22日の軍事クーデターからちょうど1ヶ月が経ち、
サンデーマーケットはいつもより兵士のパトロールが厳重に行なわ
れていました。3人の王様像広場の前では、兵士によるライブも
行なわれていました。
サンデーマーケットは、毎週日曜日の夕方から旧市街のターペー門
周辺を中心に開かれている市場で、単なる物の売買だけでなく、
チェンマイの文化、歴史が凝縮した形で表れているので、見所がたく
さんあります。タイ国内はもとより、世界中から大勢の人が訪れます。
旧市街のシンボル『ターペー門』は兵士と警官(左下)が警戒に当たっていました。
ターペー門の城壁にも兵士と警官が警戒に当たっていました。
昨日はサンデーマーケットで大勢の人が訪れていました。
その日は、いつもより厳重なパトロール体制でした。
路上ではおばあちゃんが竹細工の鳥、魚、動物のおもちゃを売っていました。
路上の両側には、小物や雑貨、衣類の露店がたくさん並んでいました。
食べ物の露店もたくさん並び、にぎりやすしも人気があります。
路上のマーサッジも人気があり、1時間150バーツ(約450円)です。
サンデーマーケットでは、多くの大道芸人(?)たちがお祭り気分を盛り上げています。
チェンマイには、地元のサッカーチーム『チェンマイFC』があります。そのPRをしています。
3人の王様像広場の前では、兵士によるライブが行なわれていました。
私のブログに何回も登場する自称『コボリさん』に偶然会いました。
『コボリさん』は日本人ではなく、日本が大好きなタイ人です。
「コボリ」さんは、タイで最も有名な日本人です。
何度もテレビドラマ化、映画化で大人気を博した「クーカム」に登場する
何度もテレビドラマ化、映画化で大人気を博した「クーカム」に登場する
日本軍の青年将校、小堀のことです。架空の人物ながら、人気歌手の
トンチャイ・メックインタイが演じたこともあり、タイでコボリを知らない人は、
まずいません。「クーカム」とは、日本語では「運命のふたり」の意味。
小説の原作は、「メナムの残照」です。
サンデーマーケットの南側で行なわれている子供伝統芸能ショーでは、
少女たちの歌や踊りが繰り広げられていました。
そのステージのすぐそばでは、兵士の詰所があり、警戒に当たっていました。
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2014年06月21日
戒厳令1ヶ月の『ターペー門前広場』
5月20日に戒厳令が敷かれて、ちょうど1ヶ月経った昨日の
金曜日の午前中、旧市街のシンボルである『ターペー門』に
行きました。その周辺は兵士や警察官がパトロールをしたり、
その広場には、詰所があって、警戒に当たったりしていました。
その広場では、演劇芸術スクールによるエイズのイベントも行
なわれていました。
昨日の午前中、ターペー門に行く途中に兵士や警察官がパトロールを
していました。左側は旧市街の堀です。
旧市街のシンボル『ターペー門』も兵士や警察官が警戒に当たっています。
その広場には、兵士や警察官の詰所が設けられています。
その広場では、演劇芸術スクールによる『エイズ』のイベントが行なわれていました。
タイのエイズについて、タイでは1980年代末 -1990年代前半に、
IDU の間に感染爆発が起り、売買春を介して HIV 感染が拡大しました。
患者・感染者の爆発的な増加に驚愕したタイ政府は、強力なセ-フセッ
クス・ キャンペ-ンを展開しました。このような努力により、HIV 感染の
拡大に歯止めをかけることに 成功しました。タイの経験は、啓蒙・啓発
活動でエイズの拡大を食い止めることができることを示した点で、重要な
意味をもっています。
私が行った時には、すでにそのイベントは後半に入っていました。