2015年08月

2015年08月30日

ランプーンの旅『市街地の散策』


チェンマイの隣県であるランプーンで、ラムヤイ(ロンガン)
祭りがあるので、最終日の16日(日)に見に行きました。

ランプーンとは、(タイ国政府観光庁より引用)
チェンマイから南へ約30キロメートル、11世紀頃からランナー
王国に統合される13世紀末まで、モーン族によるハリプンチャ
イ王国の都として栄えていたランプーン。山間盆地にあり、北部
地方の県の中で最も小さいながら、チェンマイやランパーンなど
の周辺都市よりもはるか前に仏教が花開き、その中心となった
地です。市街地には現在も隆盛の時代を偲ばせる格式高いラン
ナー様式の仏塔がそびえ、仏教寺院も数多く残っています。
地元住民の多くは、18世紀頃に中国の西双版納より移り住んだ
タイルー族を祖先とし、細かな浮織りが施された織物など独自の
文化を守り伝えています。国立公園でのトレッキングなど、豊かな
自然を楽しむこともでき、ラムヤイ(竜眼)祭りが行われる7~8月頃
は、パレードが町なかを練り歩きます。

ランプーンのラムヤイ(ロンガン)祭りは、8月12日から
16日までの5日間、開かれました。
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ランプーン行きの車は、チェンマイのワロロット市場の川沿い道路
から白いミニバスが出ています。
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このバスは15名乗りで、エアーコンが効いていて、快適でした。
運賃は25バーツ(約90円)で、約1時間掛かりました。


ランプーンの市街地は、堀に囲まれていて、
チェンマイの旧市街地と同じような造りでした。
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城壁はチェンマイの旧市街地と同じように城門や
一部分しか残っていませんでした。
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昼ご飯は、4年前のラムヤイ祭りで食べたことのある
カオマンガイ(ゆで鶏ごはん)のお店で食べました。
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この料理店は、ランプーンでは有名なカオマンガイのお店で
いつも繁盛しています。
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私は40バーツ(約140円)で、美味しくいただきました。
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その後、市街地の中央にあるハリプンチャイ国立博物館へ行きました。
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その博物館には、ハリプンチャイ時代やランナー時代の
貴重な美術品が多数展示してありました。そこは撮影禁止です。


その次に、国立博物館の向かい側にあるプラタート・
ハリプンチャイ寺へ行きました。
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そのお寺はランプーンの最も格式の高いお寺で、観光名所にもなっています。
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仏陀の髪が収めれていた黄金の仏塔です。
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本堂はランナー様式の美しい建物です。
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本堂の仏像です。
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このお寺はいつもお参りをする人で賑わっているお寺です。
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2015年08月28日

続・チェンマイの『戦没者慰霊祭』


8月15日の終戦記念日は、チェンマイでも2ヶ所で戦没者慰霊祭
が開かれました。今年は旧市街から南側で行なわれたワット・ムー
ンサーンの慰霊祭に参加いたしました。
ワット・ムーンサーンとは、大東亜戦争中、チェンマイは
インパール作戦の駐屯地となり、このムーンサーン寺には
野戦病院がありました。そしてこの地で多くの日本兵がお亡くな
りになられました。慰霊碑は奇跡的に祖国へ帰国の叶ったご戦友に
よって建立されたものです。毎年8月15日終戦の日に、この慰霊碑の
前にてチェンマイで戦没された方々を追悼する慰霊祭を執り行わせています。

慰霊祭はNHK放送を見ながら、『東京の全国戦没者追悼式』
と同時進行で行なわれました。
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最初に『君が代』の斉唱がありました。
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安倍総理大臣の式辞がありました。
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その後、1分間の黙祷が行われました。
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その次に、天皇陛下の御言葉がありました。
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ワット・ムーンサーンの僧侶が戦没者の冥福を祈っています。
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その間、参列者は合掌をしていました。
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僧侶にお供え物をタンブン(寄進)しています。
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戦没者の追善供養も行なわれました。
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その後、参列者は慰霊碑に献花、焼香をあげ、冥福を祈りました。
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その次に、クンユアムにある「タイ日本友好記念館」
尽力されたチューチャイ氏よりお話がありました。
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「タイ日本友好記念館」は、第二次大戦中1942年頃から英領ビルマ
への進攻に備えてビルマ国境に近いタイ北部で道路建設に携わった
日本軍兵士の携帯品などを展示してあります。
当時クンユアム郡警察署長チューチャイ氏がクンユアム郡の各家庭
で保管されていた日本軍関連資料2000点以上を収集し、展示品として寄贈
しています。その功績が日本政府より認められ、2007年に旭日双光
章を受勲されました。

クンユアム郡に縁のあるジャルーン元運輸大臣からもお話がありました。
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チェンマイ総領事館主席領事の堀越氏より追悼の辞がありました。
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最後に記念撮影をいたしました。
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onaga1951 at 08:35|Permalink行事 

2015年08月26日

チェンマイの『戦没者慰霊祭』


8月15日の終戦記念日、チェンマイでも2つの会場で戦没者
慰霊祭が行なわれました。去年はメーワン郡にあるバーンガー
ト慰霊祭に参加いたしましたが、今年は旧市街から南側にある
ムーンサーン寺の慰霊祭に参加いたしました。

大東亜戦争中、チェンマイはインパール作戦の駐屯地となり、
このムーンサーン寺には野戦病院がありました。そしてこの
地で多くの日本兵がお亡くなりになられました。
慰霊碑は奇跡的に祖国へ帰国の叶ったご戦友によって建立された
ものです。毎年8月15日終戦の日に、この慰霊碑の前にてチェンマイ
で戦没された方々を追悼する慰霊祭を執り行わせています。

インパール作戦とは、東亜戦争の末期、日本軍により実施された
東インドのインパールに対する進攻作戦(ウ号作戦と呼称)。同方面
を根拠地とするイギリス・インド軍のビルマ(現ミャンマー)進攻作戦を
未然に防止し、あわせてチャンドラ・ボースの自由インド仮政府支援の
ため、インド領内における足場を確保することを目的として計画され、
1944年(昭和19)1月、大本営の認可するところとなった。同作戦を担当
した第一五軍(司令官牟田口廉也(むたぐちれんや)中将)は、同年3月
に行動を開始し、4月にはインパール付近の地点にまで進出したが、
空兵力の支援を受けたイギリス・インド軍の強力な反撃と補給の
途絶とによって、しだいに守勢に回り、7月には退却命令が下され、
飢えと病気により多数の将兵を失った悲惨な退却戦が開始される
(死傷者数7万2000人)。日本軍の戦闘能力を過信し、補給線を軽視した
杜撰(ずさん)な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀
な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される。

ムーンサーン寺は、旧市街の南門「チェンマイ門」を出て、
ウアライ通りから細道を入った所にあります。
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このお寺の象徴である銀細工を模したアルミ細工があちらこちらにあります
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このお寺のあるウアライ通りは古くから銀細工の村として有名であり、
今でも銀細工の工房が軒を連ねるエリアで、毎週土曜日の夜には歩
行者天国となりナイトマーケットが開かれます。


その日は、天気が悪く、始まる前から小雨が降っていました。
右側が本堂で左側の建物の前に慰霊碑が建てられています。
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タイは雨期に入っているので、地元チェンマイの人たちの
おかげでテントも張られていました。
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この建物の中には、当時の鉄兜や鉄砲などが展示してあります。
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この建物は普通は公開していません。特別な時に公開します。

日本兵の写真も展示してありました。
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この建物の外側には、日本兵が使った井戸(真ん中下)も保存されています。
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この建物の前に慰霊碑が建てられています。
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9時から受付けが始まりました。
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9時半から鈴木副実行委員長の挨拶で開会されました。
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その日は91名が参列いたしました。
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バンコクから来た駐在武官のK1等陸佐(右)は、去年はバーンガート
慰霊祭に参加していましたが、今年はこちらの慰霊祭に参加していました。
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私のブログに何回も登場する『コボリさん』がみんなの前で紹介されました。
自称『コボリさん』さんは、日本大好きなタイ人です。
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『コボリ」さん』は、タイで最も有名な日本人です。
何度もテレビドラマ化、映画化で大人気を博した「クーカム」に
登場する日本軍の青年将校、小堀のことです。架空の人物な
がら、人気歌手のトンチャイ・メックインタイが演じたこともあり、
タイでコボリを知らない人は、まずいません。
「クーカム」とは、日本語では「運命のふたり」の意味。
小説の原作は、「メナムの残照」です。


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onaga1951 at 07:09|Permalink行事 

2015年08月24日

続・シリキット王妃の『誕生日祝典』


8月12日(水)の夕方から旧市街のターペー門前広場でも
王妃の誕生日祝典が開かれました。
チェンマイは今、雨期に入り、夕方から雨が降る日が多く、
その当日も雲行きが怪しく、雨が降ってもおかしくない状態
したが、どうにか雨が降らずに後半まで持ち応えました。

王妃の肖像画にお花を創作したお供え物を捧げています。
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多数の市民がお供え物を捧げています。
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次の出番を待っている踊り子のメンバーです。
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雲行きが怪しいなか華麗な踊りが繰り広げられました。
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その次は、チェンマイ市長から社会的な活躍されている
息子さんや娘さんを持っているお母さんが表彰されています。
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表彰されたお母さんたちが勢揃いして、記念撮影をしています。
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チェンマイ市長が王妃を称えるスピーチをしていました。
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市民もロウソクを手に持ちながら、王妃の長寿を祈りました。
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その後、上空には花火が打ち上げられました。
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それから、ステージでは再び、華麗な踊りが繰り広げられました。
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onaga1951 at 06:04|Permalink旧市街 

2015年08月22日

シリキット王妃の『誕生日祝典』


8月12日(水)は、現国王夫人の『シリキット王妃』が83歳の
お誕生日を迎え、タイ各地で祝典が開催されました。
チェンマイでも今にも雨が降りそうのなか、旧市街のターペー門前広場
で夕方から、多数の市民が参加して盛大に行なわれました。

チェンマイでも至る所でシリキット王妃の誕生日をお祝いしていました。
ラチャパット大学でも王妃の肖像画を飾っていました。
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ナイトバザール近くのホテルでも。
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旧市街のお寺でもお祝いしていました。
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チェンマイでも王妃誕生日の祝典がターペー門前広場で開かれました。
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会場には、王妃の展示コーナーも設けられていました。
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会場には、昔風のランナー王国時代の市場も設けられていました。
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この祝典には、ミスチェンマイも参加していました。
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その日は、多数の市民が参加していました。
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ステージでは、歌や踊りが繰り広げられていました。
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もうすぐ、王妃の肖像画にお花を創作したお供え物を捧げる祝典が始まります。
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王妃が生まれたのは金曜日のため、金曜日のシンボルカラーで
ある青色の服を着て、参加しています。
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少数民族『タイヤイ族』も参加していました。
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onaga1951 at 07:34|Permalink旧市街