2018年10月

2018年10月31日

少数民族のお寺の『オークパンサー』


今年の『オークパンサー』は、10月24日(水)にあたり、私は少数民族『パオ族』と『タイヤイ族』の人で賑わう『ワット・ノーンカム』へ行きました。そのお寺には、各々の民族衣装を着た人が『オークパンサー』の儀式に参列していました。
 
オークパンサー(出安居)とは、タイ仏教では、雨期の期間中、僧侶は寺にこもり、約3ヶ月間修行を積みます。そして、雨期の明ける頃、僧侶の修行が終わり、寺から出ることを許されることをいいます。この日は、陰暦で「第11番目の月の満月」で、今年は10月24日(水)にあたります。

『ワット・ノーンカム』は旧市街とナイトバザールの間にあるお寺です。
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このお寺は100年前に少数民族のパオ族とタイヤイ族が建てたお寺です。 パオ族は、ミャンマーの少数民族のひとつで、南シャン州のタウンジーを中心に約100万人が居住しています。
タイヤイ族(シャン族)は、人口は約200万でミャンマー国内ではビルマ人の次に多いです。なお、タイ国内にもタイヤイ族(シャン族)が住んでおり、北部・メーホンソーン県、チェンマイ県、チェンラーイ県に多いです。

 後ろの建物が本堂です。チェンマイの本堂とは造りが違います。

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本堂の前には中国の観音様が安置されていました。
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白い仏塔です。
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タイヤイ族の民族衣装を着た女の子です。左の女の子はあの手この手を尽くしたのですが、笑ってくれませんでした。
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パレードに参加するパオ族の民族衣装姿の女性メンバーです。
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パレードは銅鑼を鳴らしながら、進んで行きました。
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パオ族の女性メンバーのパレードが続きます。
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タイヤイ族の女性メンバーも続いて行きます。
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その次に男性メンバーの行進が続きました。
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最後に伝統楽器に合わせて、陽気に踊って、進んでいます。
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本堂を3周した後、本堂の仏像にお供え物を献上しました。
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オークパンサーの儀式が始まりました。
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参列者は合掌をしていました。
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2018年10月29日

チェンマイの『ギンジェー(菜食週間)』


今年のギンジェー(菜食週間)は、10月9日~17日の9日間開かれました。この期間だけタイ全土で菜食になる人も多いので、菜食の食事を出す食堂が増え、大いに賑わいます。
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菜食週間とは、タイでは、旧暦9月1日からの9日間は、『齋(ジェー)』と呼ばれる菜食期間となっています。これはもともと、観音さまを信仰する中華系仏教徒の殺生を慎むための習慣でしたが、最近ではタイ人全体に広まっています。そして、肉はもちろん、タバコやお酒なども控え、身を清めていく期間です。 

チェンマイ最大の市場の『ワロロット市場』でも惣菜屋は、黄色の中に齋の赤色の旗を掲げていました。
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旧市街の大きな市場『チェンマイ門市場』でも『齋(ジェー)』の旗が。
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ナイトバザールにも『齋(ジェー)』の旗のお店が。
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ナイトバザールの南側にある『パンティッププラザにも『齋(ジェー)』の旗が。
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私は16日(火)の正午、ナイトバザールのマグドナルドの近くにある中国の互助会館で無料の食事が振る舞われるので、昼ご飯を食べに行きました。

チェンマイでは、この期間中に無料で食事を振る舞われる所が何ヵ所かあります。この中国の互助会館では、無料の散髪もしてくれます。

互助会館の隣の大ホール(左)で無料の食事が振る舞われました。

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いろいろな野菜が大量に準備されていました。
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大ホールに入ると、観音様が祀られています。
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大ホールには、大勢の人が食事をしていました。
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いろいろな野菜料理があるので、好きな野菜を選ぶことができます。
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皆さん順序良く並んでいました。
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こちらで食事して、持ち帰りもする仲の良い夫婦もいました。
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散髪も無料で行われました。
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2018年10月27日

ホーチミンの『おススメの料理店』3軒


ホーチミンは国際都市ですから、地元のベトナム料理以外にも日本料理、中華料理、フランス料理などいろいろな料理が食べられます。その中で私が泊まった日本人宿『イージーステイサイゴン』の近くにある安くて、美味しい料理店を3軒紹介します。

最初の料理店は細長い9月23日公園の真ん中にあるセンスマーケットの地下街にあります。
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その地下街は、お土産品や衣類などのお店の他に、地元ベトナム料理や日本料理、中華料理、インド料理など、たくさんの料理店が並んでいます。
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日本料理店は2軒あり、私はこのお店で注文しました。
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このお店は地元ベトナム人から人気があるようです。
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私が食べたのは豆腐ステーキすき焼きです。料金は7、9万ドン(約400円)でした。
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2軒目は日本人宿の近くにあるグェンチャイ通りの中華料理店です。
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大繁盛しているお店です。
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このお店のメニュー表です。
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私はエビシュウマイとお粥を注文しました。2つで9、5万ドン(約500円)です。
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相席のベトナム国旗のTシャツを着た人たちです。カッコウいいですね
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3軒目は日本人宿の隣の隣にあるフォーのお店です。
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こちらも大繁盛しています。
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豚肉がたっぷり入っているフォーです。野菜は食べ放題です。料金は4、5万ドン(約225円)です。
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相席のホーチミンの青年です。3名とも爽やかで好青年でした。ベトナムの未来に明るさを感じました。
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2018年10月25日

ベトナム戦争の悲惨さを伝える『戦争証跡博物館』


ホーチミン3日目(11日)の午後は、17歳の少年『K君』と一緒に『戦争証跡博物館』を見学しました。

『戦争証跡博物館』は、ホーチミン市の3区にあり、ベトナム戦争の歴史を綴る博物館です。入場料は4万ドン(約200円)です。
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屋外にはベトナム戦争の時に使われた戦車や装甲車などが展示されていました。
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K君とはチョロン(中華街)に続き、この博物館も一緒に見学しました。
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ベトナム戦争当時の戦闘機も展示されていました。
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世界中から非難を浴びたナパーム弾も展示してありました。
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館内にはベトナム戦争の歴史を綴る写真や資料が展示されていました。
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1965年3月8日に海兵隊3,500人が南ベトナムのダナンに上陸した時の写真です。この時からアメリカとの戦いが本格的になっていきます。
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空飛ぶ要塞と言われたB52が北爆をしている写真です。その下の写真は、B52に破壊された鉄橋や建物などです。
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私は沖縄出身でその当時、沖縄の嘉手納基地からB52が北爆しているのを複雑な気持ちで見つめていました。ベトナム戦争は沖縄にも様々な影響を与え、ベトナムについては、特別な思いを持っています。


この写真はナパーム弾を投下された村から裸で逃げる少女の写真です。この作品は『戦争の恐怖』と題され、ピューリッツァー賞を受賞した有名な写真です。
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この少女はファン・ティー・キム・フックさんといい、この空襲で重度の火傷を負ったものの一命は取りとめ、現在は2児の母親としてカナダで暮らしています。反戦運動家、国連・ユネスコの親善大使として活動しています。


アメリカ軍が散布した枯葉剤により、ベトナムで多く誕生した奇形児の写真なども展示されていました。
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アメリカ軍のこのような非人道的な行動は、メディアによって、世界中に知れ渡り、世界中の人々から非難を浴びました。アメリカ国内はもとより、日本でも『ベトナム戦争反対』の市民活動が盛んになりました。
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1973年、アメリカ軍はベトナムから撤退して行きます。
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米軍撤退後は、北ベトナム軍、ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の快進撃が始まり、1975年4月30日に南ベトナム政府の大統領官邸(現統一会堂)へ北ベトナムの戦車が突入して、ベトナム戦争が終結(サイゴン陥落)しました。終(つい)にベトナム人の悲願であった南北が統一して、独立を果たしました。

南ベトナム政府の大統領官邸(現統一会堂)へ北ベトナムの戦車が突入した歴史的な瞬間です。
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3階の終盤のコーナーには、2人の日本人報道カメラマンの写真が展示されていました。この写真は『安全への逃避』と題され、ピューリッツァー賞を受賞した沢田教一氏の作品です。
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沢田 教一(さわだ きょういち、1936年2月22日 - 1970年10月28日)は、青森県出身のフォトジャーナリスト。ベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』でハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、ピューリッツァー賞受賞。5年後、カンボジア戦線を取材中に狙撃され、34歳で死亡しました。

その後、写真を撮った家族と再会した写真です。
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写っている家族のうち、当時8歳の少女だったグエン・ティ・キム・リエンは2017年時点も存命で、農業を営んでいます。当時、朝食の準備をしていると自宅近くでナパーム弾の爆撃が始まり、家族や近所の人々とともに川に飛び込んだところ、撮影していた沢田さんに助けられました。沢田さんはその後も村を何度か訪れて、子供たちにケーキを配りました。沢田さんの死亡の知らせが伝わると、村中が悲しんだそうです。

もう一人は、沖縄出身の報道カメラマン・石川文洋氏の写真も展示されていました。この写真は『戦場の祈り』と題され、戦場では多くの兵士が無事に帰国できるように、従軍神父によるミサが行われていました。
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石川文洋(いしかわ ぶんよう、1938年3月10日 - )は、ベトナム戦争の従軍取材による多数の報道写真で知られるが、撮影対象のジャンルは広範囲に渡り、各国の紛争地帯での撮影のほか、人びとの日常生活、肖像写真、舞台芸能(琉球舞踊)の写真なども撮影しています。
ベトナムのホーチミン市戦争証跡博物館には、ベトナム戦争を中心とする約250点の写真を寄贈したことを契機として、1998年9月より3階に石川氏の写真常設展示コーナーが設けられています。 

1階には、未来に願いを込めた『日本語』がありました。
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2018年10月23日

ベトナム最大の中華街『チョロン』


ホーチミン3日目(11日)の午前中は、私と同じ宿泊者の17歳の少年『K君』と一緒にホーチミンの中華街『チョロン』へ行きました。K君は静岡県出身で、通信教育を受けている高校3年生です。ハノイを一人旅して、ホーチミンも一人旅しています。

チョロンにバスで行くには、ベンタイン市場前のバスターミナルから青色の1番のバスを乗ります。所要時間は30分で、バス料金は5千ドン(約25円)です。

バスは並木道路を通って、西に進んで行きます。
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終点のチョロンのバスターミナルで降ります。
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チョロンの中心的存在である『ビンタイ市場』(真ん中)を目指して行きました。
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『ビンタイ市場』は工事中で中に入ることはできませんでした。
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『ビンタイ市場』の周りには、仮設の市場が出来ていました。
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『ビンタイ市場』は卸し専門のお店が多いです。
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教会を目指して進むことにしました。
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ベトナムはフランスの植民地だったので、カトリック教会があります。
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オランダ人のカップルがお参りしていました。
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教会の中です。
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このチョロン(中華街)には中国寺が何カ所かあります。溫陵會館(觀音廟)を見学しました。
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このお寺には中国の16の神様が祀られていました。
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三国志時代の有名な蜀の関羽将軍もチェンマイと同じように『商売の神様』として祀られていました。
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お昼はK君と一緒にチョロンで中華料理を食べました。K君がスマートフォンで教会や中国寺を探してくれたので、とても助かりました。将来、どんな若者に成長するか、楽しみです。
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