続・ラチャパット大学『第24回日本祭』開催続・チェンマイの戦没者慰霊祭『バーンガート会場』

2023年08月17日

チェンマイの戦没者慰霊祭『バーンガート会場』


8月15日の終戦記念日、チェンマイでは2つの会場で戦没者慰霊祭が行なわれました。私は去年は旧市街から南側にあるムーンサーン寺の慰霊祭に参加していましたが、今年はメーワン郡にあるバーンガート慰霊祭に参加いたしました。1944年のインパール作戦での戦没者の慰霊碑がこのチェンマイには2ヵ所あります。

インパール作戦とは、東亜戦争の末期、日本軍により実施された東インドのインパールに対する進攻作戦(ウ号作戦と呼称)。同方面を根拠地とするイギリス・インド軍のビルマ(現ミャンマー)進攻作戦を未然に防止し、あわせてチャンドラ・ボースの自由インド仮政府支援のため、インド領内における足場を確保することを目的として計画され、1944年(昭和19)1月、大本営の認可するところとなった。同作戦を担当した第一五軍(司令官牟田口廉也(むたぐちれんや)中将は、同年3月に行動を開始し、4月にはインパール付近の地点にまで進出したが、航空兵力の支援を受けたイギリス・インド軍の強力な反撃と給の途絶とによって、しだいに守勢に回り、7月には退却命令が下され、飢えと病気により多数の将兵を失った悲惨な退却戦が開始される(死傷者数7万2000人)。日本軍の戦闘能力を過信し、補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される。


バーンガート戦没者慰霊碑です。

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この赤いソンテウで、オーキッドホテルから8時15分に出発しました。ソンテウ代は往復で200バーツ(約800円)でした。

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バーンガート中高学校の正門です。

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チェンマイ市郊外にあるメーワン郡バーンガート中高学校の敷地内には、インパール作戦で亡くなれた約1万8千名の遺骨が納められている慰霊碑があります。 チェンマイ市内から学校の慰霊碑までは約35kmで、車で1時間ぐらい掛かります。


校門の横には、日本語でバンガートウィタヤーコム校と書かれてあります。
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戦没者慰霊碑と日本語でも書かれています。

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慰霊碑は学校の敷地内の奥にあり、その入り口です。

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慰霊碑の右側には、鐘楼があります。

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鐘楼の鐘には、昭和天皇の和歌があります。

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受付は地元のバンガート学校の高校生が担当してくれました。

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バンガート学校の高校生が暖かく迎えてくれました。

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この日の参列者は大人が35名、高校生が25名でした。

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当日の式次第については、次回(来週の木曜日)にお知らせします。

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onaga1951 at 03:47│Comments(0)行事 

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